鳥たちよ、自由に羽ばたいてゆけ

私たちもいつか羽ばたけると信じて

トゥルナの独り言

私は父が嫌いです。人間の中で一番憎悪を抱く位には嫌っています。

彼に対して“父”という固有名詞を使うのも、本当は鳥肌が立ってしまう程です。然し、事情の知らない他人に彼の話をする時には、仕方が無いので父と呼んでいます。

 

物心ついた頃から、私にとって父は負の存在でしかありませんでした。気に入らない事があれば大声で怒鳴り散らすのは当たり前で、それが食事中であれば、箸や茶碗などの物が飛んでくる事も屡々でした。食事中はまるで葬式の様で、家族で楽しく会話をしながら食事をした記憶などありません。

子どもの頃は色んな所へ連れて行ってくれたりもしたけれど、父の機嫌を損ねない様に皆で気を遣わなければならないので、正直言って全く楽しさは感じられませんでした。

また、此方は何も悪い事をしていなくても、人混みや待ち時間が長い場所で必ずと言っていいほど機嫌が悪くなるのです。

私はそういった当時の記憶が強く根付いているため、今でも外に遊びに出掛けるのが(人に気を遣わなければならないという潜在意識があり)億劫で、どうも得意になれません。

 

父が仕事から帰ってくると、家の中の空気は一気に張り詰めました。その不穏な空気は、もはや目に見えるのではないかと思われるほど最悪なものでありました。

男兄弟たちは、そんな父の事を何処か恐れている様に見えました。反抗している所など、見た事がありません。

私は女だからなのか、父が怖いと言うよりは半ば呆れている様な感情に近かったのです。兄弟たちは父からいつも目を逸らしていたけれど、私は父を睨み付けていました。

 

父は、母や子どもである私達に向かって、「誰が養ってやってると思ってるんだ」、「父親に向かってその口の聞き方は何だ」という代表的なクズ台詞をよく使っていました。私は、その言葉の意味が全く理解出来ず、ただただうんざりしていました。

私は一度も養って欲しいなどと頼んではいないし、この人が父親で無ければ良かったと嘆く事はあっても、父親になって欲しいと懇願した覚えもありません。

「恩着せがましい」とは、まさにこの人の為にある言葉なのだと思いました。

 

確かに、「働く」という事は簡単ではなく、とても尊い事であると思います。自らも社会人になって働き出すと、それは身に染みて実感しました。然し、労働条件の下で働いている限りは、必ず「休み」もあるのです。

一方の母はどうだったでしょう。父の収入だけでは到底家族を養えない為、昼間はほぼ毎日の様にパートへ行き、夕方に帰ってくると、果てしない家事の山。その上、子育ては「休み」もないのです。

二人で始めた夫婦で、二人から生まれた子ども達の筈なのに、子育てもろくに参加せず、子育てに一人奮闘する母に対して感謝を述べるどころか、召使いの様に扱い、蔑み、偉そうな口を叩くのです。

私は、そんな父が嫌いです。

偉そうに言う割に大した収入もなく、真面目に働いてきた訳でもなく、色んな面倒臭い事から逃げてばかりの人生。

私は、そんな父が嫌いです。

全て、自分で選んできた筈の人生。自分が「幸せにしたい」と思ったから母と結婚し、私達を世に生み出したのに。

それなのに、何故そんなに恩着せがましい言葉ばかり出てくるのですか。その真意を私は知りたいのです。

妻や子どもから敬われたかったのなら、自分の選んだ人生に言い訳をしないで欲しかったのです。貴方が幼稚な台詞を吐く度に、私は情けなくなり、生まれてきた事を後悔してしまいます。

私は、結婚に対して憧れよりも恐怖が勝っています。そして、子どもを産む事も。本当は願っている事なのに、私と同じ様な人間を増やしてしまうかもしれないと怖いのです。

私は、父が嫌いです。そして、私自身の事も。