あるバンドの話
ここ最近、また寝つきが悪くなってしまった。
薬は飲んでいるのにな。
イマイチ効きが悪いのは、心配事が増えたからだろうか。
と言っても、心配事が増えるような目まぐるしい生活を送っている訳ではないのだけれど。
仕事でちょっと色々あったからだろう。
はぁ・・・明日も早いし、もう寝たいのに。
寝たいと思えば思う程、寝れないもどかしさが高まる。遊園地のコーヒーカップが延々と廻っているような感覚に似ている。
やばい。考えていたら少し酔ってきた気がする。気持ち悪い。
もう開き直って寝るのを諦めた方が逆に寝れるかもしれない、と考えている時点でやっぱり寝ることを諦められないことに気付く。
イヤホンコードが複雑に絡み合ったような感情が本当に面倒臭くて死にたくなった。
・・・いやいや、怖い怖い怖い怖い。
衝動的に死にたいとか思ってしまった自分が怖い。
然し、どんなに理性的な生き物であっても、何をするか解らない。だから人は他人を殺し、時には自分をも殺す。
それが生きるということなんだろうか。
・・・あぁ、駄目駄目。考えちゃ駄目だ。どんどん堕ちていく。何とか阻止しなくては。
絡まったイヤホンコードを不器用な太い指先で解き、それをスマホに差し込む。
その直後、音楽アプリの画面が浮かび上がってくる。
再生ボタンを押すと、中途半端なBメロから勝手に流れ始める。
もう何年も前からずっと、あるバンドの曲を馬鹿みたいに繰り返して聴いている。
おかげで世間の流行歌なんて一つも分からなくなったし、付き合いで行くカラオケの選曲も相当困るようになった。
それでもずっと聴き続けるのは、人間関係が多少ズレてしまう苦よりも、あるバンドの曲を聴かなくなる方が、自分の人生にとって断然苦だからだ。
ある意味、あるバンド中毒、あるバンド依存症。
はぁ・・・やっぱり耳心地が良い。尖ってる所がまた良い。丸くなったらなったで結局それも好きなんだけど。
美しく笑えない、容易く泣けない、上手に怒れない、本当の気持ちを素直に伝えられない。そんな自分に、この音や言葉は鋭く突き刺すように痛くて、だけど、それでいて繊細で優しい。
ボーカルの声、よく「変だ」とか「普通じゃない」だとか好き勝手言う人が居るけれど、俺は堪らなく好きだ。
この声を、煮たり焼いたりせずに刺身のままで、しかも醤油もつけずに素材そのものの味をゆっくり味わい尽くしたい位には好きだ。
あぁ、でも食べたら無くなっちゃうから嫌だな。いや、でも、栄養分として体内に吸収されるから、それもそれで幸せかもな。
・・・なんだか物凄く気持ち悪い表現をしてしまった。
まぁ、いいか。別に、口に出して誰かに言っている訳でも、誰が聞いている訳でも無い。想うのは勝手だろ。
ていうか、世間はよく「普通」って言葉を多様するけれど、よくよく考えたら普通って何だろうな。
オッケー、グーグル。「普通」とは?
【いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持っていないさま。】
・・・そんなもの、この世の何処にあるの?え〜、あるのかな?例えば、何だろう。何だろうな。思いつかないな。上手く頭が回らない。それもそうか。寝てないし、もう5時だし、変なテンションになっても仕方ない。
・・・え、5時?!
もうそんな時間なの?ビックリなんですけど。あと1時間しか寝れないじゃん。最悪〜。
いかんいかん。懲りもせずに再び寝ることを考えてしまったし、口調がギャルみたいになってしまった。
あぁ・・・今度は足の裏がムズムズしてきた。
でもさ、スマホなんかで調べてもよく分かんなかったし、「普通」って取り敢えず凄いことなのかもしれないけどさ、「普通じゃない」って凄く普通だし格好良いと思うんだけどな。人と違うってことがまさしく普通じゃない?
あ、なんか自分もしれっと「普通」を多様してしまった。
まぁ、いいか。
たださ、「変だ」とか「普通じゃない」って言う人って、結局「燃えるゴミ」か「燃えないゴミ」かみたいに極端な「好き」か「嫌い」の分別作業をしたいだけであって、個人の意見をまるで世間の意見であるかのように大袈裟に掲げて、ただ気に食わない何かしらを否定したいだけなんだよな。
そっちの方がよっぽど好きじゃない。
誰かを傷つけるだけの言葉なら、最初から要らない。そんな分別する価値も無いゴミみたいな言葉に対して、あのボーカル風に言い返すとするなら「うるせーよ、バーカ。」
ここにきても、上手く怒れない自分をスカッとした気持ちにさせてくれるのは、このバンドの存在だ。
これだから、好きでいるのを止められない。
あーあ、匿名で卑怯に誰かを傷付けてばかりの世の中を「普通じゃない」って言える世の中になりゃいいな。
雑巾を強く絞ると出てくる、手が悴む程に冷たく濁った水。それは、言葉にできない俺の感情だ。汚れてしまうから、川にも海にも流せない。何処にも行き場所が無かった。
挙句の果てに、雑巾に残っている水が滴り、バケツからはみ出て、綺麗な床を汚してしまうこともあった。
だけど今は、あるバンドの手によって掬われている。
きっと、あの頃の俺みたいに雑巾を上手く絞れなかったり、バケツから水を零してしまうような人がこの世には沢山居るんだろうし、だからこそ、それぞれ誰かに救ってもらいたくなるのだろう。
少なくとも俺のこの行き場の無かった感情は、あるバンドによって掬われて救われている。
そんなこんなで、誰かの「嫌い」は誰かの「好き」なんだよ。
だから、嫌いでもどうだっていいからさ、あんまり「普通」だとか言って否定しないでくれよ。悲しくなるよ。
カーテン越しからでも分かるくらい、外が明るくなっている。
6時ですね。はい、結局寝れませんでした。もう諦めて起きます。寝てもいないのに起きますよ。
カーテンを開けて、薄手の寝巻き姿のままベランダの外に出てみる。
もう5月なのに、冬みたいに風が冷たい。
死にそう。死にたくない。死ぬほど生きたい。
耳の奥で鳴っているギター、ベース、ドラムのリズムに合わせて、雀が元気良く歌っている。
イヤホンをしているから鳥たちに音は聴こえている筈もないのに、奇跡的にマッチしている不思議。
寝れなかったけど、まぁまぁ良い朝だったからいっか。
さて、仕事に行く準備をしよう。
顔を洗って、歯を磨いて、寝癖を治して。
寝てもいないのに寝癖がつくなんて変だよな。まぁ、いっか。それが俺の普通だ。
通勤時の満員電車に揉まれながら、今日もまたあるバンドの曲を聴くだろう。だろう、じゃなくて、もう聴くことは決めている。退勤時も、入浴時も、就寝時も、とち狂ったように聴くのだ。
好きだ。好きだなぁ。
死ぬまで一生愛してる。