鳥たちよ、自由に羽ばたいてゆけ

私たちもいつか羽ばたけると信じて

海鴉が鳴いている⑴

「そこを左に曲がって・・・郵便局が見えたら右ね。」

「郵便局なら逆方向だけど。」

「・・・嘘。」

「あんたって本当方向音痴だよね。当てにならんわ。」

そこまで言わなくたっていいじゃない・・・。

彼女はいつも私を小馬鹿にしながら、ハッキリとした物言いをする。本人からすれば何でもない事なのだ。それでも、私はそれが彼女だからこそ些細な言葉に一喜一憂してしまう。

これは愛なのか、はたまた依存か。

その答えが分かった所で、どうすることも出来ないのだけれど。こんな自分が情けなく、どうしようもなく落ち込んでしまう。

 

 

「着いたよ、行っておいで。」

「・・・送ってくれてありがとう。」

「もう、またそんな顔して。」

運転席で深い溜め息を吐くと同時に、大胆に私の左肩まで手を伸ばし、自分の方へと力強く抱き寄せた。

そして、一瞬、頬にキスをする。

彼女はこういう時、優しい言葉をかけてくれる訳ではない。それでも、この不器用な愛を感じた瞬間、私の負の感情は全て無かったことになってしまう。

 

本当に、狡い人。

 

私の肩に回されたままの細い腕を掴んで、ゆっくりと下ろし、その左手を私の膝の上に置いた。壊れてしまわないように、優しく彼女の指に触れる。この綺麗な指には、いつも多すぎる程の指輪が填められている。アクセサリーを一切付けない私からすればかなり不可解な量ではあるが、彼女にはそれがとてもよく似合っている。

俯き、無言のまま指輪を上下に動かしたりして遊んでいる内に、ようやく心が落ち着きを取り戻した。

「ありがとう、行ってくる。」

「行ってらっしゃい。愛してるよ。」

 

私も、・・・

 

 

 

ーーー

 

 

 

ゆっくりと瞼が開く。

どうせ夢だという事くらい、最初から分かっている。何故なら、今まで何十回とそれを見てきたからだ。どうか醒めないで欲しい、と切に願いながら、いつも無理矢理に瞼を閉じている。

それでも、夢というのはいずれ醒めてしまうものだ。

 

彼女とはあの日以来一度も会っていないし、私は大人になった彼女を知らない。

それなのに・・・

うんざりする程、忘れられない。

忘れられなくて、うんざりする。

もう、どちらでもいい。

 

私はあれから人並みに恋もしたし、色んな人と交際もして、今は結婚を考えている人も居る。

“普通に幸せ”な筈。

それなのに・・・

私が夢に見るのは、今でも彼女だけだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

高校の入学式。

私は、腹痛に苦しんでいた。過度な緊張やストレスを感じると、胃腸に支障をきたしてしまう体質なのだ。

家を出る前に薬を服用しているのに、今日に限って効果がない。会場には両親も来ているし、式を欠席する訳にもいかない。それが余計にプレッシャーになるという悪循環に陥ってしまっていた。

右も左も前も後ろも、何処を見ても知らない人ばかり。誰にも助けを求められない。自分を取り囲むもの全てが敵のように感じる。

私は、人知れず冷や汗をかいて震えていた。

 

 

元はと言えば、此処は自分が望んだ場所では無い。当初は、交際していた彼と同じ高校を志望していたのだが、両親から「貴女はもっと上を目指せる筈だから、そんな不純な動機で将来を決めるのはやめなさい!」と猛反対をされてしまった。

今思えば、確かに親の言うことにも一理あるが、いつだって私の望みを聞き入れてくれないことに対して苛立っていたし、それなりに反抗はした。

然し、いつも自信が無くて気の弱い私になんか折れてくれる筈もなく、それも心の何処かでは分かっていたので、最初から諦めている節もあった。

最終的に、私はいつも大人の言いなりだ。

 

オープンスクールの際、母がこの学校の校風をひどく気に入った。三者面談の時、当時の担任にも勧められた。そこは傍から見れば“お嬢様学校”という印象で、品が良さそうで控えめな子が多く居るような雰囲気だった。

健全で安心出来そうだと母は思ったのかもしれないが、私は内心、自分の身の丈に合っていないのではないかと心配した。

 

そういった経緯で志望校を変えざるを得なかったことを彼に伝えると、「俺と離れても平気なの?」と詰め寄られた。

勿論そんな訳ないし、私だって彼の傍に居たかった。けれど、私はいつだって中途半端で、意志が弱く、他人の意見にすぐ流されてしまう。そんなんだから、根気強く親に歯向かう事も出来ない。

どっちつかずの私の態度に嫌気がさしたのか、結局、彼には呆気なく振られ、そして私はそれを引き止める事も出来ずに終わった。

 

 

こうして思い返すと、散々な事ばかり。

いっそ何処か遠くへ逃げ出したい。

誰か私を連れ去って・・・。

 

校内に咲き誇る美しい桜とは裏腹に、私の心は絶望に満ちていた。