迷子になった背黒鴎
17の秋、ただの日曜日。
アルバイトの休憩時、店から割と近い公園のベンチに腰掛け、スーパーで購入したばかりのサンドイッチとブラックコーヒーを胃に流し込み、背もたれにゆったりと寄り掛かったまま煙草に火を付けた。
私はきっとこれからもこのチンケな田舎町で、未成年の癖にこうして生意気に煙草を燻らせながら、いつの間にか歳を取っていくんだろう。
溜め息と共に煙を吐いた。
天気も良いし、時間が来るまで昼寝でもしようかと考えていた頃、見知らぬ男が私の右隣にゆっくりと座った。20代半ば位だろうか。いや、童顔な顔立ちのため、若しかしたら推測する年齢より上かもしれない。
ていうか・・・何故わざわざ私の隣に?他にもベンチは空いているのに。怖。不審者だろうか。
吸いかけの煙草を咥えたまま、携帯電話を右手、スーパーのビニール袋を左手に持ち、さり気なく席を立とうと試みたのだが、それに気付いたのか、男はすかさず声を掛けてきた。
「お姉さん、これから遊びに行かない?」
耳を疑った。
この男は馬鹿なのだろうか。
私の全身を見れば、何処かの飲食店の制服を着ているということくらい一目瞭然だ。白シャツに黒パンツならまだしも、コックのようなデザインの服を堂々と着ているのだぞ。もし、これを私服だと捉えられているならば此方も癪だし、百歩譲ってこれが私服だったとして、そんな変な女をナンパするなんて、やっぱり変な男だと思った。
問い掛けが聞こえなかった振りをして、男の座っている右側は決して見ないように煙を吐く。煙草を持つ手が微かに震えている。
休憩時間よ、早く終われ・・・。
「お姉さんさぁ、今幸せ?」
男は無視されても諦めず、話題を変えて私に問い掛ける。空を仰ぎながら。
「どう・・・っすかねぇ。」
一点を見つめたまま棒読みで答える私の横顔を見た男は、「え〜幸せじゃないの〜?」と言って笑った。
「今日は空も青くて、こうして伸び伸びと煙草も吸えて、平和な日曜日なんだけどねぇ。」
男は再び空を仰ぎ、そして目を瞑った。その男の横顔を、つい見つめた。然し、私の表情は立派な呆れ顔。口は半開き、目は出来る限り細めて。
右の人差し指と中指に挟んでいた煙草の灰が地面に落ち、我に返る。殆ど吸えなかった勿体無い煙草。持ち手がかなり短くなっている。急いで火を消し、携帯灰皿にそれを入れる。
「じゃ、私はそろそろ・・・。」
やっとの思いで席を立ったが、男はそんなことはお構い無しで続ける。
「平和って・・・“何も無い”ってのはさ、幸福な筈なのにね。それでも多くの人々は、いつも何かを欲しがる。そして、目に見えない何かに縛られて、苦しそうに生きてる。」
男は、不思議なオーラを持っている。私はこの男のことを不審に思っている筈なのに、そう言いながらもこうして話を聞いてしまうような。
「私・・・縛られていますかねぇ。」
「現に今も大いに縛られてる。例えば、“与えられた”仕事とかね。学校だと、義務教育もそう言えるのかなぁ。」
「そんなの当たり前じゃないですか。例えそれが貴方には縛られているように見えても。生きるってそういうもんなんじゃないんですか。」
ついムッとした顔をして言い返してしまった。
「そうだねぇ、“当たり前”かぁ・・・。然し、そのルールや、それを守ろうとする責任感なんてものは、一体誰が決めたものなのかなぁ。」
男は、カラッとした晴天のような顔をして私に笑い掛ける。そして、太陽のように真っ直ぐな眩しい瞳を此方へ向ける。私は言葉に詰まった。
“誰が決めた”なんて、私に解る訳ないじゃん。
「まぁ、どう生きるべきか、何が自分にとっての幸せか、きっと人は死ぬまで探し続けるんだろうねぇ。例え最初からそれを持っていたとしても・・・そのことに気付かずにね。」
男は笑って私に手を振り、去って行く。
ちょっと。待って。勝手に何処かへ行かないでよ。解らなくなるじゃない。生まれてきたことも、生きていくことも、死んでゆくことも。“当たり前”でしょう?“当たり前”だったよね?“当たり前”だった筈なのに・・・。
花、草、木、空、順番にその色が消えていく。私の居る世界が色を失い、真っ白になっていく。
何も疑問を持たないまま、全てを諦めたままなら、私は、男に会う前の私のままで居られただろう。当たり前に、ただ何となく、生きていけた。それなのに・・・。
あの人は何故、私と出会ったの。
私は、一人取り残された。
小さな公園の中に。小さな田舎町の中に。小さな島国の中に。小さな世界の中に。
太陽には、程遠い。
✎︎_________________
𓅿背黒鴎(セグロカモメ)
鳥言葉:流浪する魂。