鶩の答えを探して
薄明るくなったカーテンの外。
微かな光にさえ反応して目が覚めてしまう自分に溜め息をつきながら、痺れている左腕を庇いつつ寝返りをうつ。
そっと動いたつもりなのに、少しでも揺れると軋むベッド。
思っていたより大袈裟な音に焦り、隣を見る。
心配を他所に、此方へ身を寄せながらスヤスヤと眠っている。
僕の愛しい人。
ピンク色に染まった頬をツンツンしてみると、柔らかくて温かい。
長くて濃い睫毛。
ツリーチャイムを奏でるように触れてみるけれど、当の本人は全く気付かず、口を半開きにして眠っている。
なんて可愛い人なんだろう。
少し乱れた長い髪を、優しく掬って整えた。
僕の悪戯に気付かないくらい、深い眠りにつける彼女が羨ましい。
一体、どんな夢を見ているのだろうな。
彼女の少しマヌケにも見えるような寝顔をただ見つめるだけで、僕は満たされてしまう。
あぁ・・・こんな日が永遠に続けば良いのにな。
何処にでもある恋愛映画のようなクサい台詞が思い浮かんでしまう程に、僕は彼女を愛している。
参ったな・・・、こんなに好きになるなんて。
再びベッドが悲鳴を上げてしまわないよう、先程よりも慎重に身体を動かし、立ち上がる。
トイレから戻ると、サイレンのような彼女の携帯アラームが激しく鳴り始めた。
一度は怪訝そうに薄目を開いてアラームを止めるも、何事も無かったかのように目を閉じて二度寝をしようとする。
コロコロ変わる表情だけで考えていることが分かるくらいに単純で、それに呆れながらもつい笑ってしまう。
「朝ですよ。」
ベットの端に座り、優しく彼女の頭を撫でる。
「・・・ふん。」
彼女は少し目を開くと、すぐに掛け布団を上に引っ張り、頭の天辺まで被ってしまった。
こうして頭を撫でると、いつもだったら嬉しそうな顔をして微笑むのに、どうやら今朝はご機嫌斜めの様子。
「あれ、怒ってるの?」
「・・・怒ってる。」
「如何したの。嫌な夢でも見た?」
「・・・貴方の所為。」
「僕?」
「そうだよ。全くもう。」
不定期にやってくる彼女の怒りの感情は、時に理不尽なものだ。
それでも、それを腹立たしいと思わないのは、自分にはそういった感情が無いに等しいからだ。
彼女が怒る理由が知りたい気持ちと、そういう感情を素直に出せることへの羨ましさもある。
「如何して僕の所為なの?」
理由を尋ねると、もう彼女の口は止まらない。
ちゃんと息が出来ているのか、心配になるくらいだ。
毎回そういう展開になるのも分かっている癖に、ムキになって口を尖らせながら喋る姿が可愛くて、つい同じことを繰り返してしまう。
こういう時の僕は、彼女からすればただの意地悪な男にしか映っていないだろう。
それでもいい。それさえ愛しい。
「貴方は如何して毎晩私に背を向けて眠るの。」
今日の議題は、【寝る時の姿勢ついて】のようだ。
「えー、毎晩ってことは無いと思うよ。」
「毎晩だよ。私がそう感じているんだから。」
「そうかなぁ・・・。でも、一体それの何が気に入らないの。」
その言葉を発した瞬間、彼女は眉間に皺を寄せて眼球を剥き出しにする。
ヤンキーがガンをつける時のようなグレた顔。
そんな迫力のある顔を見ても思ってしまうのだけれど、どんな顔をしていても、結局君はいつも可愛い。
愛しすぎて抱き締めてしまいたくなったけれど、今それをすると余計に怒らせてしまいそうだったので、空気を読むことにした。
「だって、貴方が眠っている時に私が見てるのは、壁みたいな背中ばかりなんだもん!」
「壁?」
つい吹き出してしまった。
確かに僕は背が高くて、身体も彼女に比べたら大きいのは間違いないのだけれど、人の背中を“壁”だなんて・・・。
なかなか失礼なことを口走っていることに彼女は全く気付いていない。
そこがまた可笑しくて、笑いが込上げる。
「何が可笑しいの?!私は真面目に話しているのに!」
「ごめんごめん。」
全く笑い足りなかったけれど、両頬を軽く叩いて、無理矢理に真面目な顔を作った。
「貴方は眠りが浅くてすぐに起きてしまうから、私は滅多に貴方の寝顔を見られない。そんなの寂しい。」
あぁ・・・そんなこと考えたことも無かった。
あ、いや、“そんなこと”っていうのは、決して馬鹿にしている訳じゃなく、純粋に感心しているからこその言葉だ。
彼女の目には、そう映っているのだな。
僕が何気無く見落としてしまうようなことを、彼女は真剣に考え、僕とは違う場所で何かを感じている。
彼女のそういう所も好きだ。
何故僕は彼女に背を向けて眠っているのだろうと考えてみる。
寝顔を見られるのが恥ずかしいから?
・・・違うな。
では、寝る位置を替われば向き合って眠れる?
・・・いや、多分、引き続き背を向けて眠ってしまうような気がする。
参ったな、すぐに答えが出ない。
唸っていると、彼女は痺れを切らした。
「今夜までに答えを出しておいて。」
そう言うと、不機嫌な顔のままあっという間に支度を終え、さっさと仕事へ行ってしまった。
「う〜ん、困ったな・・・。」
リビングで珈琲を飲みながら、換気扇の下で煙草を吸いながら、洗面所の鏡の前で歯磨きをしながら考えてみたけれど、見つからない。
そうこうしている間に自分も出社の時間がやってきた。
今日の宿題は、なかなか大変そうだ。
ふぅ・・・と息を吐いて、玄関の扉を開けた。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
「確認お願いします。」
“貴方は私に背を向けて眠っている”
「あのー・・・先輩。確認お願いします。」
“そんなの寂しい”
「あの!すみません!」
肩を叩かれ、ビクッとして振り向いた。
「あ・・・驚かせてすみません。確認お願いします。」
「あ、ごめんね。確認しときます。」
「大丈夫ですか?お疲れのようですね。」
「あ、大丈夫。ごめんね、ありがとう。」
不思議そうな顔をした後輩が僕に背を向けて自席へ戻っていく。
あぁ、驚いた・・・。
心臓の音が煩すぎて、耳の中までドクドクしている。
彼女からの宿題の答えを考えていたら、後輩が居たことに全く気付かなかった。
無視したみたいになって、悪いことしたな。
それにしても驚いた。何故か昔から背後に人に立たれるのが得意じゃないんだよな。
理由は分からないけれど、なんか怖くて。
仕事中や外出中は常に気を張っていたのに、今日は油断していた。
らしくないな。
・・・らしくない?
あぁ・・・、そうか。らしくないんだ。
彼女を好きになってから、ずっとそうだ。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
「ただいま。」
玄関の扉を開けると、すごい勢いで此方へ走ってくる彼女。
「おかえりなさい!えっと・・・今朝はごめんなさい。寝起きで機嫌が悪かったとは言え、さすがに言い過ぎました。」
勢い良く頭を下げて謝る彼女。
君は僕に怒った後、必ず自己嫌悪に陥るんだよな。
そういう忙しい所も好きだよ。
「謝ることは無いよ。大丈夫だから。」
僕が笑うと、分かりやすく安堵の溜め息をついて微笑む彼女。
「あのね、今日は貴方の好きなハンバーグだよ。もうすぐ出来るから、手を洗って着替えておいで。」
彼女が背を向けてリビングへ戻ろうとする。
僕から離れてしまわないようにその背中を掴まえ、そのまま抱き締めた。
「今朝の答え、見つかったよ。」
彼女の右肩にそっと顎を乗せ、耳元に頬を寄せる。
「せ、背中を向けて眠る理由のこと?」
彼女は積極的で気の強い性格の癖に、奥手で気の弱い僕の方からこういうことをされると、必ず身体を硬直させて緊張する。
本当は、繊細で純粋で、少女のような女性だってことを僕は知っている。
彼女のこういう可愛い所は、そこらへんの男達になんか知られたくなくて、永遠に僕だけが知っていたい。
そんな想いが心の奥の方から外へ溢れ出してしまいそうになる。
この気持ちを逃してしまわないように、彼女を抱き締める腕の力を少し強めた。
彼女を好きになるまで、自分がこんなに我儘で独占欲の強い人間だとは思わなかった。
自分で思っていたより、器が小さくて情けない。
本当にうんざりするよ。
余りにもみっともないから、必死に余裕のある振りをしているだけだ。
心の中ではこんなことを考えているなんて知ったら、彼女は嫌がるだろうか。
・・・嫌われたくないな。
「それで、答えって?」
堪らなくなった彼女が控えめに尋ねる。
「今、背後に僕が居て、どんな感じがする?」
質問に質問で返す狡いやり方。
顔は見えないけれど、分かりやすい彼女のことだから、きっと困った顔をしているに違いない。
「うーん・・・少し照れる。だけど、暖かくて安心する・・・かな。」
「うん、僕も同じ気持ちなんだと思う。でも本当はね、背後に誰かが居るのが得意じゃなくて。だから外では気を張っているんだ。多分、ずっと昔から。だけど・・・今朝、指摘されて初めて気が付いた。起きていても眠っていても、何も考えずに背中を見せられるのは君だけなんだ。」
僕はきっと、彼女の温もりを背中に感じながら安心して眠っていたいんだろうな。
彼女だけに寂しい思いをさせておいて、本当に自分勝手で我儘だな。
「・・・それが答え?」
「うん。こんな我儘な答えでごめんね。」
抱き締めていた手を離す。
ほんの数秒間、彼女は動かなかった。
どういう風に返事をしようか考えているようだ。
僕は、見つけ出した答えを正直に話したことに後悔は無い。
あぁ、でも、嫌われたくないなぁ・・・。
すると、彼女が突然此方を振り返る。
「しょうがないなぁ。その答え、合格にしてあげる!」
少し怒ったようにも聞こえるぶっきらぼうな言葉だったけれど、頬が林檎のように真っ赤なのを見て、僕は少し安堵した。
リビングへと走り去って行く彼女の背中を眺めながら、この先何があっても彼女を離したくないと、不覚にも涙が出そうになった。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
彼女の作った美味しいハンバーグを食べて、順番にお風呂へ入り、1時間だけ2人でゲームをして、洗面所に並んで歯磨きをして、同時にベッドへ入る。
「電気消すよ。おやすみ。」
「うん、おやすみなさい。」
僕は彼女に向き合う形で横になる。
「ふふ。」
暗がりの中で彼女の笑う声がする。
「如何したの?」
「あのさ、もう怒ってないから。」
彼女に気を使って向き合っているのだと思ったようで、それが可笑しいと言って笑う。
「ねぇ、後ろ向いて。」
「え?」
「もう・・・いいから!」
半ば強制的に身体の向きを変えさせられると、ベッドも苦しそうに悲鳴を上げた。
少しすると、そっと後ろから抱き締められる。
「こうしてくっついていたら、貴方の匂いがして安心する。それなら私も寂しくない。」
彼女の柔らかい温もりを背中いっぱいに感じる。
あー・・・幸せだ。
彼女と出逢ってからの僕は、本当に馬鹿みたいにおめでたい人間になった。
今なら、そこらへんの花が咲くだけで美しいと言って泣けるかもしれない。
彼女に出逢う前の僕を知る人は、“らしくない”と言って笑うだろう。
自分でもそう思うし、自分の中にそんな一面を発見したことへの戸惑いがあるのも確かだけれど、もうそんなことはどうでもよくて、過去の自分なんて全て捨ててしまってもいいと思えるくらいに今が愛しい。
「あぁ・・・こんな日が永遠に続けば良いな。」
恋愛映画みたいなクサい台詞を呟くと、夢の中へと消えた。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
𓅿鶩(アヒル)
鳥言葉・・・安心。