10月29日の木菟
《久しぶり〜!元気?》
その言葉に律子は苛立っていた。
それが本心からの心配ではなく、挨拶程度に使っているだけだと分かっているからだ。
彼女のことだから、どうせまた自分の用件を話したいが為に連絡をしてきたのだろう。
律子は溜め息を吐いた。
《うーん、ぼちぼちかな。そっちは元気?》
確か前回は話の途中で急に既読無視をされて、それっきりだったんだっけ。これもいつもの事なのだけれど。
それをされると何となく嫌な気持ちが残ることを律子は知っているので、相手に同じ仕打ちをすることが如何しても出来なかった。
不穏な気持ちを抱えながらも、言葉を選びながら文字を打った。
大体そちらが無視をしておいて、よくそんな素っ頓狂に連絡を寄越せるものだと、正直律子は呆れていた。でも相手はきっとそんなことは何も考えていないのだろう。じゃなきゃこんなに思いやりのない行動は出来ない筈だ。
こんな風に友達を悪く思ってしまってはいけないのは分かっている。然し、そう思わずにはいられないのは、彼女に前科があるからだ。
前回のやり取りに遡ると、彼女の相談事が始まりだった。それは深刻な内容であったし、律子は心の底から心配していた。ひとつひとつの言葉に細心の注意を払いながら彼女の相談に乗った。
それなのに、自分の気が済んだのかやり取りの途中でパッタリ返信が来なくなったのだ。
《元気そうなら良かった。》
彼女は人の話を聞かない。一言も元気だなどと言ってはいないのに。
《心配だったから・・・。》
百歩譲ってこの言葉が本心だったとしても、如何しても素直に受け止められないのは、どうせ自分自身の性格がどうかしているからなのだろう、と律子は胸を痛めた。
《あのね、突然なんだけど私ねーー・・・》
あ、やっぱり始まった。また“私”の話。
律子は返事をしてしまったことを今更ながら後悔した。
本当に普段から此方のことを心配してくれているのなら、たまには自分の話は置いておいて、此方の話も聞いてくれたらいいのに。せめて、3回に1回位でもいいから。
何故私はこの子と友達をやっているのだっけ。私は所詮、彼女の引き立て役なのかしら?そう思うと律子は哀しくて仕方がなかった。
勿論、彼女に悪気が無いことも分かっている。自覚が無いのも時には罪なのだが。然し、そういう人に何を言っても響かないし、ただ自分が悪者になって終わるのも嫌なので直接物申す勇気も無かった。
彼女に対して嫌な感情をこんなに沢山秘めている時点で、友達ではないのかもしれないということも本当は分かっている。
《そうなんだ。良かったね!》
私こそ思ってもいないことを送っている。
《へぇ〜凄いじゃん!》
こんな不毛なやり取り早く終わらないかな。
《それなら安心だね。》
ただモヤモヤするだけなんだけどな・・・。
そう思ってしまう自分が本当に嫌。けれど、私は私で間違っていないとも思ってしまう。
少しは相手に察してもらいたいものだ。でも期待するだけ余計にしんどい。
彼女は「私が気付かないことがあったら何でも言ってね!」とよく言うけれど、そんな言い難いことを言わなければならない方の身にもなって欲しい。“言う”という行為は言われる方より遥かに神経やエネルギーを使うということを彼女は知らない。
本当はこんなこと思いたくないが、私の経験上言われないと気が付かない人は言っても分からないことの方が多くある。“気付く人”というのは“言わなくても分かる人”なのだ。
自分の話を終えて気が済んだのか、また返信が来なくなった。今度は先程よりも大きくて深い溜め息を吐きながら、携帯をソファに投げた。
彼女にとって私の存在って一体何なのだろう。律子は考えたくもないことをいつも考えてしまう。
思い返せば、いつも他人に気を遣ってばかり。本当の意味で他人から大切に扱われたことなど無いのかもしれない。学生の頃はいじられキャラでぞんざいに扱われていたし、それをハッキリ嫌と言うことも出来なかった。正直に言ったせいで、ハブられたり虐めを受け始めた人を何人も見てきたから。
それは、大人になってからも。付き合っている彼からも優しくしてもらえたことなんてないし、もっと酷い時は交際にすら至らず、都合の良い相手で終わったこともあった。
律子は、どんな時も誰の言うことも二つ返事で引き受け、嫌な顔一つせずに頑張ってきた筈だった。それなのに、この努力は全然報われない。自分のことばかり話す彼女はいつも誰かに愛されるのに。
周りのことを憎いと感じてしまう反面、律子は何より自分自身のことが嫌で堪らなかった。
皆は私のことを優しいと言うけれど、私の何を知ったつもりで容易くそんなことが言えるのだろう。私は「優しい」のではなく、「言えない」だけだ。我慢しているだけ。本当は、心の中では、とても酷いことを考えている。
生まれてきた時は、きっと祝福されて愛されていた筈。然し、物心がついた時には両親はいつも喧嘩をしていて、私はいつも部屋の片隅で泣いていた。
怒鳴り声や大きな物音が怖くて、それをなるべく耳にしなくていいように“良い子”になった。それでも叱られたり両親が言い争う姿を見る度、生まれてきた自分を責めた。
早く独り立ちしたくて、働き出してすぐに一人暮らしを始めた。大きな音がしない、静かな家に居られることが心地好く、1人が嬉しかった。
それでも、何も変わらなかった。平穏な暮らしを手に入れても、新しい職場に勤めようとも、どんな友人を作ろうとも、私は私のままだった。
いつまで経っても、私は誰かのために息をしている。
こんな筈じゃなかった。こんな風になりたかった訳じゃない。私はただ・・・
律子は先程ソファに投げつけた携帯に手を伸ばす。連絡先の画面を開き、あ行から順番に目を通していく。
あぁ、私は泣きながら相談出来る人も、気兼ねなく文句を言い合える人も居ないのだ。更には、自分の本当の気持ちを話したい人も居ない。
左手の親指の動きを止めた。
涙が止まらない。私は本当に独りだ。一人暮らしを始めても、本当の意味で独りになることはないと思っていた。いや、思おうとしていた。然し気付いてしまった。今まで気付かないふりをしていたことに。
私は独りだ。
誰も私を見ていない。
同僚も、彼氏も、友達も、両親でさえも。
胸に何かが支えて、息が止まる。
律子は海の底に沈んでいく自分を想像した。或いは、誰かに首を絞められているような。
このままでいれば、私は本当に死んでしまう。
苦しい・・・苦しい・・・誰か助けて・・・。
意識が遠のき、目の前が暗くなった。
気付けば、外は明るくなっていた。カーテンも閉めないままだったので、直接朝日が律子の瞳を刺す。
「眩しい・・・。」
昨日のあれは何だったのだろう。夢?現実?区別もつかない程にリアルだった。
ただ一つ分かるのは、あれだけ苦しかったのに死ねなかったこと。
人間は意外としぶとい。私は強く作られてしまっている。
「仕事行かなきゃ・・・。」
律子は重たい身体を起こした。洗面所で念入りに顔を洗い、自分と目が合った。
「・・・酷い顔。」
きっと私は今までずっと誰かのために息をしていたから、それらが重たくて海の底へと沈んで行ってしまったのかもしれない。
今まで誰にも本心を打ち明けようとしなかったから、自分を殺してしまいたくて、自身から強く首を絞められてしまったのかもしれない。
水中でみっともなくもがきながらでも、少しずつしか息を吸えなくても、私は、私のために息をしてみたい。
私だけのために。
いつか、そんな日が来るのだろうか。
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𓅿𓈒 𓂂𓏸木菟(ミミズク)
・・・10月29日のバースデーバード。
鳥言葉:いにしえの知恵