出口の見えないトンネルの中で
幼馴染みが鬱になった。
僕達は別々の高校に進学していた。当初、病気になった時期や詳細は分からなかった。久し振りに会う彼は兎に角変わり果てていて、会話をする事さえ出来なかった。彼のお母さん曰く、どうやら彼が虐められっ子を庇った後に、虐めの矛先が自分に向かった事が原因のようだった。
彼は昔からそういう男だ。そういう子を放っておけない勇敢な奴だった。幼稚園の頃、まさに僕自身が友達から仲間外れにされた時、彼だけは僕を助けてくれたのだ。それからというもの、彼は僕にとって憧れの存在で、ヒーローだった。誰よりも強い人間なのだと思っていた。
彼に会った僕は愕然とした。元々は活発なサッカー少年で、真っ黒に日焼けしていた筈の身体は、まるで太陽を知らないかのように青白くなっていた。綺麗だった筈のその腕は、無数のリストカットの傷が痛々しく泣いていた。その傷を覆うように、彼は一年中長袖を着るようになった。
「生きていくのが怖い」と言った彼の瞳は、生気を失っていた。昔はあんなによく笑う奴だったのに・・・。信じられなかった。彼が僕の知らない誰かになって、何処か遠くに行ってしまうのではないか。漠然とした不安を感じた。
僕は無知で無力だった。いとも簡単に彼を変えてしまった病気が憎かった。「知らない」という事がこんなにも怖いものだという事を、僕はその時初めて知った。
鬱とは一体何なのだ。本やインターネットを使って、様々な情報を頭に叩き込んだ。ほんの少しでもいい。一筋の光を掴みたかった。けれど、知れば知る程どうすればいいのか分からない。僕は無い頭で悩み、考え、彼自身と向き合う事を決めた。
本心を言うなら、何を選ぶのも何処へ進むのも怖かった。彼にとってそれが正解では無いかもしれないからだ。それでも選んで、進むしかない。細く頼りない枝だとしても、数本あるうちの一本でもいい。彼にとっての添え木でありたい。そんなのお前のエゴだと言われるかもしれない。それでも僕は、彼を失いたくなかった。本当の彼が、どんな人間だとしても。
時を経て、僕達は大人になった。
彼の鬱は改善傾向にあった。一番症状の重かった時期を思い出話に出来る位になった頃、僕は一人の女性に出逢った。
彼女もまた、鬱を患っていた。僕と彼女は互いに好意を持ち、交際する運びとなった。彼女とは、約三年間暮らしを共にした。
彼女は、調子が悪くなると僕に言った。
「貴方は本当にこの病気を理解しているのか?」
僕は、全てを理解していると嘘は吐けなかった。鬱病を患っている彼女のパートナーとしては当事者であるが、病気を患っている当事者では無いからだ。想像するしか出来ない事が数え切れない程にあったのも事実だった。
彼女の言葉は、やるせない僕の心に小さな棘を刺した。それでも、彼女をこうさせたのは病気のせいだと思った。そう思うようにした、という方が正しいかもしれない。僕にはそう思う事しか許されないと感じていた。でなければ、この長い長いトンネルの先に、いつまで経っても光が見えてこないような気がした。
然し、とうとう彼女には届かなかった。
僕の気持ちなんてこの広い世界にはありふれていて、何も特別なものではないのかもしれない。僕は、涙を流す事さえ許されないと思った。
何処まで走っても暗闇だった。その中で、彼女は僕の手を離した。どれだけ捜しても彼女は居ない。それでも嫌いになんてなれない。僕の心には、彼女の破片が刺さったままだ。
他人は馬鹿馬鹿しいと笑うだろう。けれど、胸に手を当ててみると、今でも彼女の感触が残っているのだ。
どんなに想っても、彼女は居ない。僕には彼女の傷を癒す優しさや、守り抜く強さが足りなかった。それが現実だった。
再び年月が経った。
僕は、自分の感情を上手くコントロール出来ず、思うように眠れなくなっていた。金縛りに遭ったり、幻覚や幻聴の症状が起こる事も屡々だった。
今思えば、とっくに自分でも変化に気付いていた。然しその頃の自分は、「大丈夫」「まだやれる」と、高を括っていた。
ついには何も出来なくなった。
そして僕も、鬱になった。
仕事は順調だった。私生活も特に不自由な事は無かった。鬱になった根本の原因はよく解らない。
ただ、僕は、生きるための電池が切れてしまった。
ふと彼女を想う。
当時の僕は、彼女の苦しみを共有出来ないことに苦しんでいた。同じ病気になってみなければ本当の意味では解れないし、同じ状況になった時に初めて理解出来るのかもしれないと思っていた。
けれど、そうではなかった。
僕は、彼女と一つにはなれない。
彼女は、「鬱という病気を理解して欲しい」と言った。けれども僕は、「鬱という病気を理解して欲しい」というよりは「鬱という病気になった僕に寄り添って欲しい」と願ってしまうのだ。
例えば、そっとしておくのが最良と本に書いてあったとして、確かにその対応がベストな人も居る。然し、病気を打ち明けた途端に距離を置かれてしまい(相手は気遣いのつもりでも)、「普通じゃない」レッテルを貼られたようで何だかとても寂しく、疎外感を感じてしまう人間も世の中には居るのだ。それはどんな病にも言えるかもしれない。
それぞれ違う人間なのだから、違って当たり前なんだ。今ならそう思えるのに。
僕は今、あの幼馴染みや家族に支えられて生きている。
病を患っている人を、隣で支えている人。彼等も本当はギリギリの状態なのかもしれない。何が相手にとって最善なのかを慎重に考え、時に間違い、それでも諦めず、大切に想い、思い悩む日々を過ごしている。共倒れして崖から落ちてしまわないように、踏ん張ってくれている。
同じにはなれなくても、一緒に戦ってくれている人が居る。今の僕にとって彼等は、太く心強い一本の添え木なのだ。
側に居ることを決断する人も勇気が要る。皆、とても怖いのだ。その怖さも承知の上で、一緒に居たいと思ってくれる。陳腐な名前かもしれないが、それを愛と呼ぶ他に僕には言葉が見当たらない。
今は何処か別のトンネルの中に居る君へ。
あの頃の僕は、無意識に自分の考えを君に押し付けてしまっていたのだろうか。今でも君を想う度に、心の奥がぎゅっと縮んで苦しくなるよ。
僕達は確かに同じ名の病を患った。それでも「同じ」になれることは決して無いのだろうね。
哀しいね。寂しいよね。それでも僕は、今日もこうして生きているよ。
月を眺めた時、もう明くる日は目が醒めないで欲しいと願う日があって。そして明くる日、太陽に絶望する日があろうとも。
僕の隣は、明日も優しさに溢れた自分だけの居場所があると信じていたいから。