からっぽ

私は、私の人生、何処から間違えてしまったのだろう。このまま老いて、死にゆくのをただ待っているしかないのだろうか。少女の頃は、漫画に出てくるヒロインのように、運命の人と出逢い、恋をして、結ばれる。そんな、誰もが憧れるハッピーエンドを望んでいたけれど。五十にもなった私が、人知れずそれを未だに望んでいるのは、可笑しいだろうか。私の人生、主人公は私の筈だったのに。結局、脇役で終わっていくしかないのだろうか。

 

 

私の家庭は、決して裕福とは言えなかったが、共働きの両親のおかげで何不自由なく育った。三人姉妹の真ん中。姉は世に言う「才色兼備」というやつで、美人で頭も良く、性別に関わらず人気者だった。妹は可愛らしい顔立ちで、今では流行りの「あざとい女子」という感じ。男性から、かなりモテていた。同性から妬まれても気にしないような強さも併せ持っていた。

私と言えば・・・ごくごく平凡。容姿、頭の良さ、運動神経、どれをとっても「可もなく不可もなく」。それでも人並みだと自信を持てれば良かったのだが、どうしても自分自身が姉妹たちと比較してしまい、或いは他人から比較されているような気がして、いつも何処か気後れしていた。

「お姉ちゃんは美人で頭も良くて、良い大学にも通っていて、ミス○○に選ばれて、自慢だね。」

「妹は可愛くてお洒落で羨ましいなぁ。」

同級生達は、口を揃えてそう言った。誉められるのは私自身ではなく、いつも姉妹の事だった。私は一体、何処に居たのだろうか。

 

 

私は姉のように有名大学には入れなかったけれど、地元の大学に入り、そこそこのキャンパスライフを送った。そこそこに恋愛もして、何人かと交際もした。けれど、友人が言うように「彼が大好きで堪らない。毎日でも会いたい!」とは一度たりとも思えなかったし、恋焦がれるような運命の人とも出逢えなかった。交際相手がそんな自分の何処が好きなのか見当もつかなかったし、尋ねる勇気も無かった。

 

大学卒業の年に、サークルの先輩だった彼と結婚し、その翌年に一人娘を出産した。流石の私でも娘の誕生は心から感動したし、この世で一番愛しい存在だと思っている。けれど、どうしても何処か寂しいという気持ちは拭えないままだった。振り返ると後ろには誰も居ないような気がして、いつも不安だった。

 

夫は、結婚当初でこそ優しく接してくれていたが、いつしか家族であるという事に甘え、私への気遣いなんてものは無くなり、家政婦のように扱われた。自分の事は棚に上げ、やれ弁当にブロッコリーを入れるなだの、靴下に穴が空いているのに気が付かないのかだの、亭主の事に関心が無いのかだの、本当に子供よりタチが悪いのだ。

そう言う貴方は、今日私が美容室で髪の毛を5cmも切ったのに気が付かないのだろうか?その美容室の帰りに、花屋で綺麗なピンクのガーベラを見つけたから買って帰り、テーブルの上に飾っている事に気付かないのだろうか?

私は、そんな鈍感で「構ってちゃん」の夫に小言こそ言わないが、内心、彼に対して愛情なんてものは微塵も残っていなかった。娘の父親。それ以上でも以下でもなかった。いっそ浮気でもして、帰りが遅くなってくれればいいのにとさえ思ってしまうのだ。

そんな考えが過る度に、自分は本当冷酷な人間だなと嫌気がさす。そうしてまた一段と孤独になってしまうのだった。

 

 

私の生き甲斐と言えば、娘だけだった。私も夫も、娘が可愛い。それだけは気が合うところであったので、私自身が夫に愛情が無いからと言って、離婚しようとまでは考えなかった。目の中に入れても痛くないとは正にこの事であると、娘を見る度に思う。どれだけ反抗されたり憎まれ口を叩かれようとも、結局は許してしまうのだ。

その娘も、早いものでもう27歳。本当にあっという間だった。勿論、良い事ばかりではなかった。幼稚園に入って、お友達から水疱瘡をもらって大熱が出た時。小学校に入って、クラスの男の子から苛められたと言って泣きながら帰ってきた時。中学校に入って、部活の大会で敗れてしまった時。高校受験に失敗して、友達と離れ離れになってしまうと泣いていた時。私立の高校に入って、暫く馴染めずに辞めたいと言った時・・・。娘が幾度となく大きな壁に打ち当たる度、私はどんな言葉を掛けてあげるのが娘にとって正解なのか、その度に悩み、娘と一緒に、或いはそれ以上に苦しんだ。何もしてやれない無力な自分が情けなかった。それでも娘は、自分の力でここまで大きく、優しい子に育ってくれた。

私は彼女を産んだだけで、一体何をしてやれただろうか。こんな頼りない人間なのに、娘はいつも「お母さん」と呼んでくれる。可愛い顔で笑いかけてくれる。そのことに、涙が溢れて前が見えなくなってしまうのだ。

 

それなのに・・・。私はこれ以上、何を望んでいるのだろう。何故、こんなにも孤独感が拭えないのだろうか。

 

 

「お母さん。私、結婚しようと思うの。」

それは突然だった。

お付き合いしている男性が居る事は聞いていたけれど、いざ「結婚」というワードを出されると狼狽えてしまう。

「・・・そう。」

早すぎるという事はない。私が27歳の頃には、もうとっくに娘は生まれていたのだから。反対する歳でもない。

「今度の週末に彼を連れて来るから、お父さんにも言っておいて。」

「お父さんにも、直接言えばいいじゃない。」

「え〜、お母さんが言ってよ〜。お願い!」

「はいはい。」

私は、いつも夫と娘の仲介人である。それは娘が思春期の頃からだから、慣れたものだ。娘にとっての優先順位が、夫より私の方が上のような気がして、夫には悪いけれど少し嬉しい気持ちになる。

 

 

「あの子、今度の週末に彼を家に連れて来るって。」

「・・・は?」

想像通りの不機嫌そう顔。昔から本当に分かりやすい人。

「結婚のお許しをもらいに。」

「許さん!」

またそんな事を言って。貴方のそういう子供じみた所、本当に好きじゃない。

「許すも許さないも・・・あの子ももういい歳だし、反対する事でもないじゃない。」

「お前に父親の気持ちは解らないんだ。」

えぇ、解りませんよ。大体、解りたいとも思わない。貴方にも母親の気持ちなんて解らないし、私は貴方よりあの子と居た時間がずっと長いのよ。

「兎に角、週末は必ず家に居て下さいね。」

私は夫と長話をするつもりは更々無いので、用件だけ伝えてキッチンへと逃げた。

 

 

「初めまして。娘さんと交際させてもらっています。本日は、結婚のお許しを頂きに参りました。」

爽やかで礼儀正しい青年。まるで、ドラマのワンシーンのようだった。現実にこんな日が来ようとは。私は何処か他人事のように眺めていた。

「会社の先輩で、三年前から付き合ってるの。それで、そろそろ結婚しようかって。」

娘が夫の顔を見て話をしているところを、久し振りに見た気がする。夫は、嬉しいような切ないような何とも言えない顔をしている。

「いいんじゃない?この子が選んだ方だし。私は賛成です。」

夫が煮え切らないので、私は痺れを切らして言った。あれだけ「許さん!」とか言っていた癖に、夫は娘を前にすると結局最後まで何も言えなかった。

 

 

「お母さん、ありがとうね。」

彼を駅まで送り、帰ってきた娘が私の所へ来て言った。私は人数分の珈琲カップを洗いながら微笑んだ。

「私、お母さんみたいな母親になるから。」

 

娘の笑顔は、希望に満ち溢れている。彼を愛している事は娘の瞳を見ればすぐに分かったし、結婚というものに夢を見て、彼との未来を想像し、とても幸せそうだった。

果たして、私にそんな瞬間があっただろうか。夫と出逢い、交際し、結婚に至るまで、彼を愛していると自信を持って言えた瞬間があっただろうか。流れに身を任せて、「漫画のようにはいかないし、現実はこんなもんだ」と自分に言い聞かせ、何処か人生を諦めていたのではないか。

娘が羨ましかった。思えば、私はいつも人を羨ましがってばかりだ。姉や妹を羨ましがり、友人を羨ましがり、今は娘を羨ましがっている。私の人生、私をいつも脇役にしているのは誰だ。他でもなく私自身なのではないだろうか。

 

 

時間はあっという間に過ぎ去り、娘の結婚式も無事に終わった。私と夫は、疲れ切った身体で自宅に帰り着いた。親族が式に出席するというのは、こんなにも疲れるものなのだな。もう、食欲さえ無い。夫も同じようだった。

「お茶、淹れますね。」

私は重たい腰を上げて、キッチンへと向かった。戸棚に入った茶筒を取り出し、急須に茶っ葉を入れ、お湯を注ぐ。湯呑みにお湯を張り、温める。

 

私はそこに立ったまま、昇ってゆく湯気を眺めていた。様々な思い出が、走馬灯のように蘇る。娘が生まれ、成長し、旅立つ今日までの記録。私の脳内に全てインプットされている。

娘の泣いた顔、怒った顔、甘えた顔。そして、笑った顔。

 

私は、誰とも本当の意味では分かり合おうとしてこなかった。誰も愛せないと思っていた。こんな自分なのだから、夫からも愛されていないかもしれないと不安だった。けれど、娘だけは違う。娘は、生まれた瞬間から、私がどんな人間であろうと必要としてくれた。私は毎日欠かすことなく、娘に乳を飲ませ、ご飯を作ってきた。娘の無事と健康だけを祈ってきた。私は娘と必死に向き合ってきた。夫との関係が変わっても、どれだけ孤独を感じても、それでも私は娘から目を背けることだけはしなかった。

そうだ。私には、ちゃんと誇れるものがあったのだ。誰にも負けない、こんなに大きな自慢があったじゃないか。こんな人間でも、「お母さんみたいな母親になる」なんて、人生最高の褒め言葉じゃない。初めて人から褒めて貰えたじゃない。

何故、私は今頃になって・・・。

お湯を張った湯呑みの中に、ちゃぽんと涙が落っこちた。

 

 

私は、私の人生、何処から間違えてしまったのだろう。私は、脇役なんかじゃない。誰にも負けない最高の主人公として、これからも生きていくのだ。夫に何も言えない家政婦じゃなく、たまには小言を言ったり、他愛の無い話をしたり、鬱陶しがったりしながら、平凡なりに、ヒロインとして生きていくのだ。

そして、機会があったら訊いてみよう。

 

「私の何処が好き?」