ワタシはニジキジ ⑴
七月七日。
それは彦星と織姫が一年に一度だけ逢える日だという。多くの人はそれを悲劇だと嘆いたり同情したりするのかもしれないが、私からすれば彼等は羨望の対象だ。
想い人とはたまに逢うからこそ更に愛しく感じるし、美しいのだと私は思っている。近くに居れば見なくていいものも目にするし、見られたくないものだってあるから。
そういう私は変わっているのかしら。
「誠は何を書いた?」
施設のイベントで、利用者と共に職員も一つずつ願い事を書いている。同僚の一人が私の短冊を覗き込んだ。
「なーんだ、まだ書いてないの。」
「願い事がありすぎて困る?」
利用者と同僚が茶化してくるのに対し、私は愛想笑いをしながら返答する。
「そうなの。ありすぎて困っちゃう。」
本当は、願い事などこれと言って無い。物欲も無いので欲しい物も無い。けれど、強いて言うなら・・・。
“彼が私を振ってくれますように・・・。”
こんなことを人に言うと、「そんなに嫌なら自分から振ったらいいのに。」と軽口を叩くだろう。然し、他人が思うほど当人達にとってはそんな単純なものでは無いのだ。私だって、それが通用する相手なら最初からそうしているし、それが出来ないから困っている。
傍から見れば彼は優しい。
そして、私を愛してくれている。
全てを総合して、私は彼のことを嫌いな訳ではない。けれど、如何しても彼の愛情が私には歪んで見えてしまうのだ。
「誠、しようよ。」
彼が私を見つめる瞳、私の肌に触れる手、そして極めつけにはこの台詞。これらが揃った瞬間、私は地獄の果てに突き落とされたような気分になる。
「・・・うん。」
私は彼を好きだから付き合った。然し私は彼に触れられるのが凄く嫌いだ。いや、そうじゃない。相手が彼でなくても同じなのかもしれない。
誰も私に触れないで欲しいと思ってしまう。この気持ちを言葉にするのはとても難しいのだけれど、簡単に言えば、他人の体温を感じる度に私は自分が惨めになるような気がしてならないのだ。窓が無く、光の入らない真っ暗な箱の中に閉じ込められているように、息苦しくて心細くて堪らなくなる。
生物は孤独の穴を埋めるために誰かの温もりを探すのかもしれないが、私は多少孤独で居なければ逆に怖いのだ。
私は人とあまりに違い過ぎるし、きっとおかしいのかもしれない。それは自覚しているつもりだ。だからこそ、こうして自分を隠して生きている。
繰り返し、彼にキスをされる。私は全身に力を入れ、瞼を強く瞑り、固まったままそれが終わるのを必死に耐えている。
両腕に鳥肌が立つ。それが彼に見つからないように、ゆっくりと腕を回して彼を抱き締めるふりをした。
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昼休憩。
飢えた女達は、他人の噂話や仕事の愚痴、恋愛話を持ち掛けてくる。そんな時間も内心憂鬱で堪らなかった。
「誠はいいよね〜。あんな優しい彼が居て。」
彼は何処へ行っても誰からも褒められる。仕事が出来て経済力もあり、外見もそこそこ良い方だからだと思う。
皆、本当の彼のことは何も知らないのに・・・。
そう思う度、自分自身が相当歪んでいることを自覚する。そしてそれを隠すために、何時ものように他人に愛想笑いを向ける。
「ん〜でもそれなりに直して欲しい所もあるよ。」
私は、何か嫌なことがあった時に限って私の身体を求めてくる彼が苦痛だ。それも含めて、愛だと喜んで受け入れる慈悲深い人も世の中には居るのだろうが、私は喜ぶどころか自分のことを性欲の捌け口にしか思っていないのではないだろうかと思い、少しずつ心が擦り減っていく。
「そんなこと言ったら罰が当たるよ!あんなに良い人、大事にしなきゃ。いずれは結婚するんでしょう?」
結婚・・・。改めて彼と一生添い遂げるところを想像してみるとゾッとした。さっきまでの昼食を全て吐き出しそうになったので、口を噤み、必死に堪えた。
結婚するくらいなら、罰でも何でも当たった方がマシとさえ思ってしまう私は最低だ。ただ、執拗いようだが本当に彼のことを嫌っている訳ではない。
「歳も歳だし、そろそろ考える時期だよね。」
話がひと段落着くと同僚は席を立ち、喫煙所へと去って行った。
一人になり、深い溜め息を吐いた。
“歳も歳だし”。
どれだけ溜め息を吐こうとも、何気無い言葉が私の胸に閊えたままで気持ちが悪い。
男が結婚や出産に対してこんなことを言われるなんてごく稀だろうが、三十歳を目前にした女は周囲から耳が痛くなるくらい言われてしまう。何も珍しいことでは無いのかもしれない。変な話、これはまだマシな方。酷い時には“行き遅れ”とまで言われるのが現実だ。
女は必ず結婚して出産しなければならないという法律でもあるのだろうか。そして、言いたいことも言えず、それを飲み込み我慢しながら可愛い振りをして男を支えなければならない決まりも。
好きに生きればいい。世間はそう言う癖に、いざ身近に未婚の女性を目にすれば、その人が高齢であればある程憐れんだような視線を送り、「子供が居たら違ったのかもね」、「孤独死が心配だわ」などと余計なお節介を焼くのだ。
子供が居るから何だと言うのだろう。子供は大人のためのステータスではないし、孤独死だろうが何だろうがどうせ死ぬ時は独りなのだ。
普段は別になんて事ないし、女で在ることにそこまでの不満は無いのだけれど、こういう何気ない言葉を掛けられる度、女で居ることが無性に悔しくなる時がある。
あれこれ考えていると、一気に食欲が無くなった。私は食べかけの弁当の蓋を静かに閉め、隅に寄せた。テーブルの空いたスペースに顔を伏せると、静かに涙が零れた。
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「おかえり〜!」
玄関で出迎えられ、ぎょっとした。
いつもは接待や残業などで私より帰宅が遅くなる彼なのだが、珍しく今日は早めに仕事を切り上げたようだった。
私には準備が必要だ。彼よりも先に帰宅し、数時間は自分のペースで気ままに家事などをして過ごし、出来るだけ余裕を持って笑顔で彼を迎えるための心の準備が。
「あ・・・今日は早かったんだね。」
動揺で声が上擦ってしまわないように注意する。
「うん、珍しいでしょ。嬉しい?」
嬉しい、とは・・・。困ったな、頭の中で辞書を引いても答えが見つからない。彼のその言葉の真意が全くもって理解出来ない。
洗濯物を取り込んでくれていたり、夕飯でも準備してくれているのだったらそれは嬉しいと言える。けれど、そんなことをしてくれている訳がないのは分かっている。
私はつくづく打算的な女だ。
「うん、嬉しい。」
そして私はまた思ってもいないことを口に出し、笑顔のお面をつけて微笑んでいるふりをする。最低なのは解っている。でも、そうすれば彼はきっと満足だろうから。わざわざ心の中に秘めた想いを伝えて争いたくもない。
「たまには早く帰ってみるもんだね。あ、お腹空いてるから夕飯早めでお願いしまーす!」
彼は満足気な顔をしたままリビングへと姿を消した。
お腹空いた?夕飯早く?
その言葉に呆然としたまま、玄関先で靴も脱げずに立ち尽くした。両手には、食材や日用品が入っているエコバッグ。不思議だ。帰宅する前より遥かに重たくなったように感じる。
張り付いた笑顔のお面がゆっくりと剥がれるのを感じた。
・・・私だってお腹空いてるよ。
両手の荷物を彼の背中に投げつけてやるところを何度も何度も想像したけれど、私の心は晴れなかった。
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