鳥たちよ、自由に羽ばたいてゆけ

私たちもいつか羽ばたけると信じて

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ーーお聴きいただいたのは、shihoさんで「解放」。そしてそして、スタジオにはshihoさんが来て下さっていま〜す!よろしくお願いします!

「初めまして、shihoです。よろしくお願いします。」

ーーこの曲は、オリコン8位にランクインされているそうで・・・沢山の方に聴かれていますね〜、凄い!

「ありがとうございます。嬉しいです。」

ーー本日はラジオに初出演して下さいましたが、shihoさんは普段メディア等には出られないんですね?

「そうですね・・・はい。」

ーー初出演・・・緊張されてますか?(笑)。

「かなり緊張してます。すみません・・・(笑)。」

ーーとんでもないです〜!この番組を初めてに選んで出て下さって光栄です!そうそう。この曲は、ご自身の体験を元に作られているそうなんですが・・・。

「そうですね、はい。」

ーーその体験、話せる範囲で大丈夫なので、少しだけ伺っても宜しいですか?

 

 

 

バタン。

扉の閉まる音が耳に入ると、今までソファに寝転がっていた重たい身体を勢い良く起こし、玄関へと向かった。

「おかえりなさい。」

「・・・一日中ゴロゴロしていたの?」

ただいまも言わず、彼は眉間に皺を寄せて言った。私はこの不機嫌な顔を見る度に、心の中に小さなささくれが、一つ、また一つと増えていく。

 

何の役にも立たないのに、生きていてごめんなさい。

 

「少し眠ってしまったけど・・・ご飯はちゃんと作っているから!」

リビングへ向かう彼を追いかけながら、私は懸命に笑顔を取り繕った。他人の前では無理して愛想を振りまく自分が、堪らなく気持ち悪い。

「今日は忙しくて昼ご飯も食べられなかったから、すぐご飯にして。一日中働いて本当に疲れた。」

まるで私への当てつけのような台詞を吐きながら、脱いだばかりのスーツを此方へ押し付け、手を洗うために洗面所へと去っていった。私はスーツをハンガーに掛けた後、彼の鞄に入っている弁当箱を取り出した。重たいままのそれを流し台へそっと置き、小さく溜め息を吐いた。

 

死にたいなぁ・・・

 

 

私達は、社内恋愛だった。周りに気を使わせて仕事がしづらくなるのは嫌、という彼の意向により、周囲には内緒で交際していた。それでも女性社員達の勘は恐ろしい程に鋭く、あっという間に噂になってしまった。案の定、彼は会社で私への態度がぎこちなくなってしまったし、それを察した私も居づらくなってしまったため、空気を読んで自主退職をした。

「追い出すみたいな形になってごめんね。君の分まで僕が頑張るから。結婚を前提に付き合っているんだし、お金の事は心配しなくて大丈夫だから、暫くゆっくりしていていいよ。」

と彼は言った。今思えば、その場しのぎの言葉だったのだけれど、当時の私はそれを優しさと受け止めた。

そうして私は、専業主婦になった。と言っても、正式な妻になった訳ではない。あくまでも、同棲をしているただの無職の彼女だった。それでも私は、自分が彼を支えるのだと意気込み、全てを完璧にこなそうとした。

然し、そもそも家事の完璧とは何かが私には分からず、彼の思い描く理想には応えられないかもしれない事に焦った。而も、そういった悩みや愚痴を話せるような人が居なかったため、どうにもならない気持ちを自分だけの心にしまい、気を抜けば今にも溢れ出しそうであった。

次第に、思考だけではなく身体も思うように動かなくなった。彼はそれを“怠け”と呼んだ。そして、誰よりも私自身がそう強く感じてしまい、そんな自分が堪らなく嫌で許せなかった。

 

 

幼い頃から、私は自分の事を外向きの人間だと自覚していた。学生の頃は勉強や部活動、社会人になってからは職務を100%以上の力で全うし、惜しみなくエネルギーを消費する事が出来た。休むなんて事は考えられなかったし、頑張っている自分が好きだった節も少しあった。

その分、家は私にとって休息の場だった。やらなければならない家事は家族で協力し合い、効率良くこなし、空いた時間はなるべくゆっくり過ごしたいという考えであった。本音を言うと、家事に100%の力を注ぐ事は出来ない人間なのだろう。

こういった考えは、家庭環境からきているのかもしれない。うちは父が病死していて片親だったため、母は正社員として働きに出ていて、ほぼ毎日20時頃までは私と弟の2人きりだった。母が帰るまでは私が主に家の事をしていたし、弟にも、自分で出来る事はするように教えていた。それは、疲れて帰ってくる母の負担を出来るだけ軽減したかったのもあるし、母が家に居ない寂しさから、家族3人で過ごす時間を少しでも長く持ちたかったからだった。

決して家事が出来ない訳では無い。けれど、家事をしているとどうしても寂しかったあの頃を思い出す。外に出たくなる。自分が誰だか分からなくなるような、何とも言えない歪んだ感情に飲み込まれる。

 

同棲を始めてから、彼は一度も家事に協力しようとしなかった。家族で協力する事が当たり前だった私にとっては、それが衝撃だった。彼が協力をしたとしても、せいぜいゴミ出しくらいだっただろうか。それさえも最初は渋々だった。私からすれば、此方が前の晩に分別し直して玄関先に出しているゴミ袋を、ゴミ捨て場に持って行くだけの“外出のついで”の作業なのだけれど・・・。

彼の家族は、両親と兄弟と祖父母が居て、母親は専業主婦だった。彼の家では、自分が食べ終わった食器でさえ流し台へは持って行かず、母親が片付けるのが普通だったそうだ。彼は、“家事は女性がするもの”というのが当たり前の考え方の中で育った。

今思えば、私達はあまりにも違い過ぎていたし、全く別の世界に住んでいる住人だったのかもしれない。当時も今も彼を否定する気はないし、此方もされたくもないけれど、もし仮に彼の考えに意見をしてしまうと嫌われてしまいそうで、当時は怖くて言えない事も多くあった。

 

仕事を辞めてからは、私自身も無職という事に引け目を感じていたので、“やらなければならない”と常に思っていた。けれど、得意では無いものを完璧にこなすのは、私にとってとても困難な事だった。それでも、誰も助けてはくれない。何でも1人で頑張らなければならない。そう思う事で何とか踏ん張った。私の肩書きは“無職”で、傍から見ると気楽そうに見えたり羨ましがられていたとしても、それでも私は辛かった。寧ろ、私にとっては外で働く事の方が遥かに楽だと思う程だった。

 

結婚もしていない、何の保障も無い(結婚していたとしても保障がある訳ではないのだけれど)、ただの同棲相手だった私に向かって、彼は「主婦はいいよね」と言うようになった。笑いながら言うので冗談だったのかもしれないけれど、私の心は棘が刺さるようにチクチクと傷んだ。

彼の言う“主婦”を行なってみて分かったが、決められた休みもない家事は、無限であるという事。器用な人ならほんの少しの休息を見い出せる事が出来るのかもしれないが、不器用な私には家事と休息の境目が見えなかった。休息を取れば、“怠け”と思われてしまうような気がして怖かった。そして、それが生きている限り続くのだ。私はその事実に驚愕し、絶望し、疲弊していた。

最初は優しいと感じていた「ゆっくりしていいよ。」という彼の言葉が、今では重りのようにのしかかり、私は此処から動けなくなった。