鳥たちよ、自由に羽ばたいてゆけ

私たちもいつか羽ばたけると信じて

雨の日の鶎

空が、泣いている。

僕も、鳴いている。

空から降る涙の粒たちに全身をびっしょりと濡らされながら、僕は世界を嘆いた。

 

《如何して僕は棄てられたの?》

 

兄弟たちは選ばれた命。片や僕は、選ばれなかった命。一体何が違っていたのだろう。

ねぇ、空よ。泣いていないで教えておくれ。

 

《いっそ生まれてこなければ良かった・・・。》

 

どうせ生きていたって、今日こうして棄てられたことや傷付いたこの現実から離れることなんて、この先も出来ないだろう。僕の心は、殺されたまま生きていく。

命をまるでゴミのように棄ててしまえるお前たち人間は、一体いつから神になったんだ。自分の都合の良いように正当化して、簡単に逃げ場所を作り出してしまえるおめでたい頭を持った生き物。言葉を喋れることが強者で、喋れないことが弱者だとでも言うのだろうか。

人間という名の、ただの悪魔。

僕たちがどんな思いで日々を生きているのか、お前たちは一生検討もつかないのだろうな。

 

愛されたくて鳴き叫んで、愛されるために擦り寄ったって、心は届かない。魂を削って叫ぶこの声を、お前たちは自身の好きなように解釈する。

僕に向かって“ごめんね”と謝り去って行く、飼い主だった人。薄っぺらい謝罪なんて要らない。謝るくらいなら、はじめから棄てないで欲しかった。

笑顔で僕の頭を撫で、“かわいい”と言って手を振り去って行く、名前も知らない人たち。その場しのぎの言葉も要らない。最期まで愛してくれよ。

お前たちの言葉が喋れないからといって、何も感じていない訳じゃない。

僕とお前たちは同じ命の筈なのに・・・。

 

《如何して僕は自分で選ぶことが出来ないの?》

 

 

 

 

 

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私、この身体の全てがぴったり収まるような居場所が欲しかったのです。それはまるで温かい毛布に包まれているような、心から安心できる場所。

現実では、胸を温めると背中が冷たく凍えてしまい、背中を温めると今度は胸に空いた穴から風が吹いてしまうような場所に私は居ました。

いつも身体のどこかが寒かったのです。

 

何も分からないふりをしていたけれど、本当ははじめから分かっていたの。

あなたの居場所はあの人だから、あなたは私の居場所にはなってくれない。あなたは帰る場所がある癖に、たまに違う寝所を探しに私の元へフラリとやって来る。

それを受け入れてしまう私だから、いつの間にかこんなにも自分の身体が冷えてしまったのでしょう。

 

「いっそ嫌いになれたら良いのに・・・。」

 

酷い人だと大声で罵ることが出来たなら、どれだけ楽になれるのでしょう。私はあなたに嫌われたくなくて、都合の良い女になってしまったの。自分自身がどれだけ寒くても、皆のように上手く呼吸が出来なくても、あなたに会えなくなる方が遥かに辛いと感じてしまうの。

つくづく私は馬鹿な女ね。

そんな風にあなたを想っていたけれど、私は結局棄てられた。必死にしがみついていた場所なのに。あなたの一言で、簡単に失くなった。

 

「独りぼっちになっちゃった。」

 

空が、泣いている。

私は、堪えている。

傘で涙を受け流しながら、私は世界から目を逸らした。

 

 

 

 

 

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《このまま死ぬのだろうな・・・。》

 

もう、疲れてしまった。

ゆっくりと瞳を閉じる。

 

僕に向かって降り続ける涙が、急にぴたりと止んだ。驚き、見上げる。傘を差した女がひっそりと立っていた。

当たり前のように生きていることが当たり前ではないことに気付いていない、愚かな人間。どうせ同情しながら頭を撫でるだけで気が済むのだろう。お前が来る前にも、何人もそういう奴らが僕を見下しては、“可哀想”と言って去って行った。

「私はなんて優しい人間なのだろう」と大好きな自分を褒めてやりたいのだろうな。結局見殺しにするのと何も変わらないのだから、僕を棄てた奴と一緒なんだよ。

ほら、やるならとっととやれよ。そして一刻も早く目の前から消えてくれ。

 

 

傘を差したまま、女はしゃがみ込んだ。洋服の裾が地面に付いて濡れてしまっているけれど、お構い無しだった。

 

「君も棄てられちゃったの?」

 

僕の頭をそっと撫でる。

同時に、大粒の涙を流した。

 

「私たち、一緒だね。」

 

びしょ濡れに汚れた僕を抱き上げ、そして抱き締めた。

 

 

 

 

 

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一人の家に帰るのも寂しくて、私は宛もなく歩いていた。

降り止まない雨の音、自動車が私の横を通り過ぎる音、誰かの楽しそうな笑い声。

その中から、ほんの微かに聴こえる。何かを懸命に訴えるような、苦しく哀しい声だった。

それがまるで私を呼んでいるかのようで、声の方へと導かれた。小さく震えている。今にも消えてしまいそうな命だった。

 

驚いて逃げてしまわないように、静かにゆっくりと近くに寄る。

その命はもう何かを訴えるのを止め、生きるのを諦めたように瞳を閉じていた。

私はしゃがみ込み、真っ直ぐにその命を見つめた。

噛まれるかもしれない。そんな少しの恐怖を抱えたまま、頭を撫でた。

威嚇も抵抗もしなかった。

 

空がずっと泣いているから、君はこんなにびしょ濡れになんだね。寒かったでしょう?きっと独りぼっちで寂しかったよね。

丁度私も同じことを思っていたの。

 

「君も棄てられちゃったの?」

 

“君も”なんて言ってみたけれど、辛いのは君の方だね。こんなに震えて・・・。計り知れないほどの心の傷の深さを想うと、先程まで必死に堪えていた涙が止めどなく溢れてきた。

 

「私たち、一緒だね。」

 

“一緒”だなんて烏滸がましいけれど・・・。

だって私はこの雨から身を守る術を知っている。私のこの辛さなんて、君に比べればなんてことないと言われてしまうかな。

君は元気なうちに此処から離れることも出来た筈なのに、敢えて留まっていたんだね。愛する人が迎えに来てくれるかもしれないと、信じて待っていたのかな。

小さな愛しい命を優しく抱き締めた。

 

 

 

 

 

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空が、泣いている。

僕は、それを窓越しに見ている。

温かい部屋の中で。

 

「行ってくるからね。」

 

玄関の扉が閉まるまで、彼女を見送る。それが僕の日課になった。

名無しの僕は、彼女に名前をもらった。僕たちが出逢った時に空から降り続けていた涙から名前を付けようと彼女が言った。

彼女は、困ったような笑顔で「気に入らなかったらごめんね。」と言った。あからさまに喜ぶのも癪なのでクールにキメていた僕だけれど、実は意外と気に入っている。

 

あの時、涙を流しながら消えそうな僕を拾ってくれた彼女。それが今の僕の居場所だ。彼女は、僕を棄てた奴と同じ生き物だけれど、全く違うもののように温かい。

僕の言葉が伝わることがなくても、彼女はいつも優しく語りかけ、そして僕の気持ちを分かろうと努めてくれる。それが何とも心地良く、それだけで嬉しいんだ。

 

《いってらっしゃい。》

 

僕は彼女と同じ言葉を心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

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君を迎えて1年が経った。

時間が経つにつれ、ようやく分かった。居場所は、爪を立てて必死にしがみつくようなものでは無く、自然と自分の中に作られていくのだと。

それは毛布に包まるように、身体の全てがぽかぽかと温かい。

私、もう寒くないよ。

 

 

「ルイ、おいで。」

ゆっくりと手を伸ばす。

照れながら此方へ向かってくる愛しい君を抱き締める度に思う。私がこの子を拾ったのでは無く、私がこの子に拾ってもらったのかもしれないと。

心から、出逢えて良かった。

 

「行ってくるからね。」

 

玄関先に座り、可愛い顔で私を見上げる。

日々、君が愛しい。

それだけで、今日も私は頑張れる。

 

《いってらっしゃい。》

 

優しい声が聴こえた。

 

 

 

 

 

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𓅪鶎(=菊戴)キクイタダキ

・・・鳥言葉「命のかがやき」。